なぜ、日本は太平洋戦争へと落ち込んでいったのか ?
“明治以降、10年ごとに対外戦争をし続けていた日本”
私が歴史上の様々な出来事のうち、気になっていて不思議でしょうがないことがあります。特に、なぜ? どうしてそうなってしまったのか! と、いつも気になっていたことは「なぜあのように悲惨な敗戦を迎えるであろう大平洋戦争へ突入していったのか?」です。これからの日本において、大事に、そして知っておくべき教訓が、そこにはあるはずです。
戦後72年間戦争を知らない平和な日本で生きてきた今の私にとって、明治以降の歴史を振り返った時、なんとピッタリ10年ごとに対外戦争をしていたことに驚かされ、信じられない思いでいます。これまでの日本人にとって、国民的体質の変化や節目をもたらす期間が、ちょうど10年間であったのだと思われます。
日清戦争 1894年(明治27年)7月開戦
日露戦争 1904年(明治37年)2月開戦
第1次世界大戦 1914年(大正3年) 8月参戦
世界大戦開戦後日本では大戦好景気、終戦による反動恐慌、関東大震災恐慌、金融恐慌、世界恐慌と続くが、満州事変に至るまでのこの12年間は、軍事的には一応平穏な時代であったとされています。そして、また
満州事変 1931年(昭和6年) 9月開戦、 支那事変へと続き
太平洋戦争 1941年(昭和16年)12月開戦 となるのです。
この戦争に次ぐ戦争という大きな流れの中で、現在の視点からすると、負けると分かっている太平洋戦争へとなぜ落ち込んでいったのか、今の私たちにとって、知らねばならない歴史の事実です。戦争への流れはいつ始まり、その中で戦争か平和かの分岐点はいくつもあったに違いありません。なぜ戦争へと分岐点を曲がったのか、それはしっかと学ばねばならない事柄です。
明治以降の戦争の歴史を振り返り、
1.遅れて来た日本が列強に伍して帝国主義国家へと踏み出したのは何時からか?
2.戦争への流れを押し止めることができた分岐点はあったのか、それは何時か?
3.戦争に敗けて初めて戦いを終われる国・日本 日中戦争から敗戦に至る経緯
4.戦争に反対し続け、さらにはポツダム宣言を積極的に受け入れようとした昭和天皇
この4点についてレポートしてみます。先ずは「遅れて来た日本が列強に伍して帝国主義国家へと踏み出したのは何時からか?」から始めます。