参考:「吉田松陰の幽囚録(原文・読み下し文・現代語訳)」 

 

まだ戊辰戦争が終わって4年しかたたない、廃藩置県の混乱から2年もたたない明治6年に、明治政府内に征韓論がおこり征台論も存在していた。明治政府は王政復古によりトップに天皇を戴いてはいるが、戊辰戦争を戦って勝利した武士の政権であり、その意識の底にはやはり武士的な、それは可能時には領地拡大に目が行く意識が常に存在していた。その代表的な思想として、吉田松陰の『幽囚録』がある。その中では、北海道の開拓、カムチャッカ・オホーツクを奪い、琉球の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満洲・台湾・フィリピンの領有が主張されている。松下村塾出身者の多くが明治政府の中心で活躍したため、松陰の思想は日本の対外政策に大きな影響を与えた。

 

原文  (、は鈴木挿入)

 

日不升則昃、月不盈則虧、國不隆則替、故善保國者、不徒無失其所有、又有増其所無、今急修武備、艦略具、礮略足、則宜開墾蝦夷、封建諸侯、乘間奪加摸察加隩都加、諭琉球朝覲會同比内諸侯、責朝鮮納質奉貢、如古盛時、北割滿洲之地、南收台灣呂宋諸島、漸示進取之勢、然後愛民養士、愼守邊、固則可謂善保國、矣不然坐于群夷爭聚之中、無能擧足搖手而國不替者其幾與、

 

 

原文と読み下し文の対比

 

日不升則昃、月不盈則虧、

日は升(のぼ)らざらば則ち昃(かたむ)き、月は盈()たざれば則ち虧()け、

 

國不隆則替、故善保國者、

國は隆(さか)んならざれば則ち替(すたれ)る。故に善く國を保つ者は、

 

不徒無失其所有、又有増其所無。

(いたずら)に其れ有る所を失うこと無からず、又た其れ無き所を増すこと有り。

 

今急修武備、艦略具、礮略足、則宜開墾蝦夷、

今急に武備を修め、艦略具(そな)え、礮略足らし、則ち宜しく蝦夷を開墾して、

 

封建諸侯、            

諸侯を封建し、

  

乘間奪加摸察加隩都加、

間に乘じて加摸察加(カムチャッカ)隩都加(オホーツク)を奪(かちと)り、

 

諭琉球朝覲會同比内諸侯、責朝鮮納質奉貢、

琉球を諭し朝覲會同し比()して内諸侯とし、朝鮮を責め、質を納め貢を奉る、

 

如古盛時、北割滿洲之地、

(いにしえ)の盛時の如くし、北は滿州の地を割()り、

 

南收台灣呂宋諸島、漸示進取之勢、

南は台灣・呂宋(ルソン)諸島を収(おさ)め、漸に進取の勢を示すべし。

 

然後愛民養士、愼守邊、固則可謂善保國、

然る後に民を愛し士を養い、守邊を愼みて、固く則ち善く國を保つと謂うべし。

 

矣不然坐于群夷爭聚之中、

然らず坐して群夷が爭い聚まる中、

 

無能擧足搖手而國不替者其幾與、

能く足を擧げ手を搖すこと無けれども、國の替(すたれ)ざらん者は其の幾()と與(とも)なり。

 

 

現代語訳

 

日は昇らなければ沈み、月は満ちなければ欠け、国は繁栄しなければ衰廃する。よって、国をよく保つ者は、有る領土をむなしく失わないだけではなく、ない領土を増やすのである。今、急いで軍備を整え、軍艦の計画を持ち、大砲の計画も充足すれば、すなわち北海道を開拓して諸侯を封建し、間に乗じてカムチャツカ半島とオホーツクを取り、琉球を説得し謁見し理性的に交流して内諸侯とし、朝鮮に要求し質を納め貢を奉らせていた古代の盛時のようにし、北は満州の地を分割し、南は台湾とルソン諸島を治め、しだい進取の勢いを示すべきだ。その後、住民を愛撫し、国土を養い、辺境の守りに気を配って、つまり堅固によく国を維持するといえるのだ。そうでなく諸国民が集まって争っている中で座りこみ、うまく行動することがなければ、国はらかのうちに廃れるのだ

 

                                                                                           以  上