6、明治政府の成立

 

 ○廃藩置県の実現 

  1869年(明治2年)5月、戊辰戦争が終結し、明治新政府により翌月6月に、版籍奉還が実施された。しかしその時は、知藩事として藩主の支配が残されていた。1871年(明治4年)7月、天皇の詔書を得て廃藩置県を行ない、知藩事を辞めさせ新政府の官僚にその地域を管理させた。これにより維新政府の中央集権体制が確立した。この大変革を進める時、270余藩の実権を収めて、国家を統一できたのは、尊王思想により天皇の存在が、いざという時には極めて大きな影響力をもち、天皇に領地を返還することは当然のこととして返上された。 

 後のことになるが、太平洋戦争敗戦後の連合軍総司令部マッカーサー最高司令官も、天皇を戦争犯罪人とせよとの声を、日本統治のためには必要な存在と評価して拒否している。外国人の彼までが天皇をそう認識したのだ。時代の変わり目には、天皇の存在が日本には必要だと判断されてきている。 

 しかし一方で、政治と軍の支配は薩長が握った。その後、征韓論の西郷と欧米視察から帰国し内治優先の大久保の、薩摩藩同士が激しく対立した。西郷は敗れて政府を去り(明治六年の政変)、大久保を中心とした政権が確立した。 

 

 廃藩置県によって中央集権が進むと、次第に公議輿論は形骸化し始め、特に明治六年政変後において大久保利通を中心とする有司専制(藩閥による専制)が行われるようになり、公議輿論は名ばかりとなった。これに対して、木戸孝允は中央集権と公議輿論の両立の見地から立憲政治の確立を目指し、板垣退助は自由民権運動を率いて公議輿論を反映するための議会制度導入を唱えるようになった。こうした動きとともに、欧米各国と伍していくためにも、議会政治や、憲法の存在に追いつこうとして、後の大日本帝国憲法制定(1889明治22年)、翌年の帝国議会開設へと繋がっていく。

  

 公議輿論が広く具体化されるのは普通選挙の始まりまで待つことになる。1925年(大正14年)、衆議院議員選挙法(普通選挙法)が成立し、満25歳以上の男子はすべて有権者となった。敗戦後の1945年(昭和20年)に全ての20歳以上の男女に拡大された。なお、フランスの女性参政も1945年からである。 

 

 その後、明治政府によって天皇の位置づけは大きく変わった。輔弼者が天皇に変わって全権を持つ体制となるが、天皇自身は、禁裏の見えない天皇から、欧州の君主のごとく、国民の前に見える天皇へと変わり、大元帥天皇の創出、巡行・行幸する天皇へとなっていった。

  この天皇の位置づけは輔弼者が全権を持つ体制であり、実質的には象徴に変わりはない。現在の日本国憲法第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とある。当時も実質的にはこの程度に天皇を位置付けていたようである。この位置づけにより、後に天皇の反対の意志を無視して、軍部の暴走が進み、満州事変、支那事変へと至ることになる。

 

○英傑たちのその後

維新の三傑は西郷隆盛(薩摩)、大久保利通(薩摩)、木戸孝允(桂小五郎・長州)と言われているが、筆者は坂本龍馬を加えるべきだと思っている。その新・維新の四傑は、龍馬が大政奉還(1867年・慶応310月)直後の11月に暗殺され、西郷と木戸が1877年(明治10年)に亡くなり、その翌年に大久保は暗殺された。坂本31歳、西郷49歳、木戸43歳、大久保47歳であった。

 

維新の四傑も十傑*も、岩倉具視を除いて全員が、明治11年までに他界してしまった。残った岩倉具視も明治16年歿。その結果、若年の長州の山縣有朋と伊藤博文の2人が実権を握るに至った。なお、維新十傑の名前と没年を参考までに記す。

 

大村益次郎(長州藩)1869年没、横井小楠(肥後藩)1869年没、小松帯刀(薩摩藩)1870年没、広沢真臣(長州藩)1871年没、江藤新平(肥前藩)1874年没、前原一誠(長州藩)1876年没、木戸孝允1877年没、西郷隆盛1877年没、大久保利通1878年没、岩倉具視(公家)1883年没享年59歳。

 

なお、明治元年時には岩倉具視44歳、西郷隆盛42歳、大久保利通39歳、木戸孝允36歳であり、山縣有朋31歳、伊藤博文28歳、そして勝海舟は46歳であった。

 

    *維新十傑:山脇之人著「維新元勲十傑論」(明治173月)における倒幕・明治維新に尽力した志士のうち幕臣以外の10人を指す。

 

 

     

 

 

 筆者注:前編「なぜ日本は太平洋戦争へと落ち込んでいったのか」の「参考」の項にある

列強の日本への侵出状況8

「日本を震撼させた阿片戦争」8

「幕末の海外派遣から岩倉使節団まで 先進国文明の急速吸収」8

     もご覧下さい。

 

 

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